2012年 06月 03日
黒犬かの子、空の住人になりました。そして…… |
今日はとても悲しい報告をしなければなりません。6月1日に我が家の黒犬かの子が空の住人になってしまいました。とても難しい病気を患い3回の手術を乗り越えた、かの。でも、病気の勢いには勝てなかった。残念です。昨年10月1日に病気が判ったので、それから7ヶ月。よく頑張ってくれました(最初の手術日記はこちら)。
かのの腫瘍は副腎と胃にありました。副腎のほうが悪性、胃は良性。危険なのは副腎の再発と言われていたのに、実際かのを苦しめたのは良性であるはずの胃の腫瘍でした。取っても取っても復活し、胃から腸へ食べ物が流れていくルートをせきとめるのです。食事のたび嘔吐して栄養吸収が出来ず、入院時に15キロあった体重は11キロに。
というわけで口から食べさせるのは諦め、胃に取り付けたチューブから流動食を注入することに。ところが胃自体の機能が低下していて、流動食すら流れていきません。でも24時間点滴のおかげで、かのは元気でした。
この時期かのは一時退院を許されます。皮下注射をしてから注入すれば自宅でも3泊はいけるのではというのが先生方の見解でした。私が注射係、喜国さんが注入係。上手く出来たのに、皮下注射の効き目はかんばしくなく、1泊2日で病院に戻すことに。
最終的に東大病院でもやるのは初めてという「腸に直接届く長く細いチューブを通す方法」を試したら上手くいった! 流動食が吸収されているようで、嘔吐しません。それから3日間様子を見てくださった先生が「これでもう大丈夫でしょう。明日、退院ですよ」と言ってくださり大喜び。流動食の値段が高額で今後大変だから、仕事頑張ろうね! と喜国さんと言い合って。
そして運命の翌朝。喜国さんと弾む気持ちで東大にかのをお迎えに行く車中、携帯に着信が。明け方に容態が急変し、かのが死んでしまったという連絡でした。まさに天国から地獄。
それからのことはよく覚えていません。担当の先生方の1人が号泣なさっていて(女性です)、「人間の病院だと先生って泣かないよね。獣医さんは感情を出していいんだな」と思ったことがやけに印象に残っています。でもそれくらい先生方は手を尽くしてくださった。感謝の言葉しかありません。
病院から近い祖母の家に寄り道したら親戚が集まってくれていて、かのと短いお別れの儀式を。「かのちゃんはおばあちゃんの身代わりになってくれたんだねえ」とおばあちゃん。96歳が言うと超リアルで、皆で思わず笑ってしまう。自宅にはアシスタントのN川くんが駆けつけてくれました。葬儀は深大寺動物霊園で。深大寺への道中に私の実家にも寄り道。かのを可愛がってくれていた人に、沢山会わせてあげられてよかったです。
詳しく書くときりがないのでここらへんにしておきます。かののことで一緒に泣いてくれた皆さま&励ましてくださった皆さま、本当にありがとう! かのは捨てられっ子でしたが、多くの人に愛された幸福な犬でした。今頃空の上で同じく気難しい先代犬のこたと仲良くしてくれているといいなと、心から願ってやみません。
かの、喜国さんと私に数えきれない沢山の幸せをありがとう。いつか遠い未来にまた会おうね。
以下、闘病中のスナップです。
再入院。寂しそうな顔。 東大病院の敷地内で。包帯ぐるぐるだけど、しっぽを振って元気。 一番具合が悪そうだった頃。すごく心配した。 不安だったのかな? 甘えてきています。 一時帰宅。心配で寝袋にて添い寝した我々。 一時帰宅用セット。 お姉ちゃん、具合悪いの? カラーを外し、傷口保護に服を着せた。お気に入りの場所でリラックス。 ソファのこっち側だって好きなの。 大好きなぱぱの横で。 ままにも抱っこさせてよ〜。 不調で予定より早く病院に戻ることに。このとき、かのは後ろのシートから私の膝上に乗ろうとして大変。そんな無茶したことなかったのに。初めての膝上ドライブが最後の思い出になってしまうとは……。 東大病院待合室。お見舞いで毎日通った。喜国さんと2人で行ったり、1人で行ったり。アシスタントのN川くんもいっぱい通ってくれた。正式名称は東京大学大学院農学生命科学研究科附属動物医療センター。 明日退院と言われたとき。こうして見ると表情が儚げ。 生きていたかのの、本当に最後の1枚がこれ。上を向いてるところを撮ればよかった。
私と喜国さんには誓いがあります。「捨てられた犬を一匹でも多く家族にしたいから、犬が死んでも負けない」という。なので、かのの葬儀が終わった翌日、私はアニマルシェルターへと走りました。そして次の家族を見つけたのです。
とても珍しい毛色の雑種オス犬で、名前は金時(きんとき)。喜国さんが命名しました。くりかのこコンビの次はくりきんときコンビ。和菓子シリーズです。ワクチンの関係で、我が家にやってくるのは9日です。金時が来てくれたら、かののこともきっと笑って話せる。こたが死んだとき、くりかのこたちがどれだけ心の支えになったか。これから「くりきんとき」をよろしくお願い致します。
正直に言うと、かののことはずいぶん長いこと引きずると思います。今だって、画像を見るのが辛いです。でも我々は大丈夫なので、どうぞ普通に楽しいお話をどんどんふってくださいね(特にツイッター方面の皆さま)。元気にしていないと、人間の顔色を常に伺っていた賢いかのに、いらぬ心配をかけてしまうし。
攻めの姿勢で元気になります!
かのの腫瘍は副腎と胃にありました。副腎のほうが悪性、胃は良性。危険なのは副腎の再発と言われていたのに、実際かのを苦しめたのは良性であるはずの胃の腫瘍でした。取っても取っても復活し、胃から腸へ食べ物が流れていくルートをせきとめるのです。食事のたび嘔吐して栄養吸収が出来ず、入院時に15キロあった体重は11キロに。
というわけで口から食べさせるのは諦め、胃に取り付けたチューブから流動食を注入することに。ところが胃自体の機能が低下していて、流動食すら流れていきません。でも24時間点滴のおかげで、かのは元気でした。
この時期かのは一時退院を許されます。皮下注射をしてから注入すれば自宅でも3泊はいけるのではというのが先生方の見解でした。私が注射係、喜国さんが注入係。上手く出来たのに、皮下注射の効き目はかんばしくなく、1泊2日で病院に戻すことに。
最終的に東大病院でもやるのは初めてという「腸に直接届く長く細いチューブを通す方法」を試したら上手くいった! 流動食が吸収されているようで、嘔吐しません。それから3日間様子を見てくださった先生が「これでもう大丈夫でしょう。明日、退院ですよ」と言ってくださり大喜び。流動食の値段が高額で今後大変だから、仕事頑張ろうね! と喜国さんと言い合って。
そして運命の翌朝。喜国さんと弾む気持ちで東大にかのをお迎えに行く車中、携帯に着信が。明け方に容態が急変し、かのが死んでしまったという連絡でした。まさに天国から地獄。
それからのことはよく覚えていません。担当の先生方の1人が号泣なさっていて(女性です)、「人間の病院だと先生って泣かないよね。獣医さんは感情を出していいんだな」と思ったことがやけに印象に残っています。でもそれくらい先生方は手を尽くしてくださった。感謝の言葉しかありません。
病院から近い祖母の家に寄り道したら親戚が集まってくれていて、かのと短いお別れの儀式を。「かのちゃんはおばあちゃんの身代わりになってくれたんだねえ」とおばあちゃん。96歳が言うと超リアルで、皆で思わず笑ってしまう。自宅にはアシスタントのN川くんが駆けつけてくれました。葬儀は深大寺動物霊園で。深大寺への道中に私の実家にも寄り道。かのを可愛がってくれていた人に、沢山会わせてあげられてよかったです。
詳しく書くときりがないのでここらへんにしておきます。かののことで一緒に泣いてくれた皆さま&励ましてくださった皆さま、本当にありがとう! かのは捨てられっ子でしたが、多くの人に愛された幸福な犬でした。今頃空の上で同じく気難しい先代犬のこたと仲良くしてくれているといいなと、心から願ってやみません。
かの、喜国さんと私に数えきれない沢山の幸せをありがとう。いつか遠い未来にまた会おうね。
以下、闘病中のスナップです。
私と喜国さんには誓いがあります。「捨てられた犬を一匹でも多く家族にしたいから、犬が死んでも負けない」という。なので、かのの葬儀が終わった翌日、私はアニマルシェルターへと走りました。そして次の家族を見つけたのです。
とても珍しい毛色の雑種オス犬で、名前は金時(きんとき)。喜国さんが命名しました。くりかのこコンビの次はくりきんときコンビ。和菓子シリーズです。ワクチンの関係で、我が家にやってくるのは9日です。金時が来てくれたら、かののこともきっと笑って話せる。こたが死んだとき、くりかのこたちがどれだけ心の支えになったか。これから「くりきんとき」をよろしくお願い致します。
正直に言うと、かののことはずいぶん長いこと引きずると思います。今だって、画像を見るのが辛いです。でも我々は大丈夫なので、どうぞ普通に楽しいお話をどんどんふってくださいね(特にツイッター方面の皆さま)。元気にしていないと、人間の顔色を常に伺っていた賢いかのに、いらぬ心配をかけてしまうし。
攻めの姿勢で元気になります!
by yuka_kuniki
| 2012-06-03 21:28
| 犬